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特集

向島〜墨堤、両国〜錦糸町散策 — 寺社・史跡・名所

見所:
散策地図寺社・史跡・名所立ち寄り処休憩処

白鬚神社

東京都墨田区東向島3-5-2

向島で最も古い由緒ある神社のひとつ。
天暦5年(951)、慈恵大師が関東に下った際に、近江国志賀郡打下(うちおろし)の白鬚大明神の分霊を、ここに祭ったのが始まり。祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)で、国土の神・道案内の守神であり、隅田川沿いの道祖神でもあった。

道案内の神ということから、お客様を案内する神という信仰が生まれ、千客万来・商売繁昌などの祈願がなされた。 境内には多くの石碑があり、日米通商条約等で活躍した岩瀬鴎所(おうしょ)の供養碑もある。
また、江戸時代に近郊農業として生産された寺島ナスにちなんだ「招福茄子」の根付けが頒布されている。

隅田川七福神の寿老神が祀られている。本来「寿老人」と記すが、「寿老神」と記しているのには理由がある。隅田川沿岸の七福神を選出した際に、寿老人を祀ってあるところだけが見つかず、白鬚大明神の御名前から白い鬚の老人の神様であろうと推測し、寿老人に当てた。石碑には、「白鬚大神」と刻まれている。

入り口
入り口
本堂
本堂

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木母寺(天台宗)

東京都墨田区堤通2-16-1 Tel: 03-3612-5880

創建は平安時代中期の977年。能「隅田川」の梅若山王権現の霊顕譚に基づく。
都営住宅の一隅に梅若門があり、それをくぐって隅田川の方へ歩くと木母寺がある。玉砂利のひかれた赤い塀の中央に有るのが梅若塚でガラス張りの建物の中に有るのが梅若堂。

梅若塚は謡曲などによって広く知られている旧跡で、現存する絵巻物「梅若権現御縁起」は次のような説話を伝えている。

時は平安の半ば、京都北白川の吉田少将惟房(これふさ)の子として生まれた梅若丸。彼は5歳の時に父と死別し、7歳で比叡山に入り修学する。のちに山僧の争いに巻き込まれ、逃れて大津に至るが、信夫藤太(しのぶとうた)という人買いに欺かれて奥州に売られてしまう。途中、隅田川のほりで病に倒れ、12歳で帰らぬひととなる。 いまわの際に梅若丸は 「訪ね来て 問はは応へよ都鳥 隅田川原の露と消えぬと」  と和歌を詠んだ。たまたま来あわせた忠円阿闍梨が里人と墓をたて柳を植えたという。
1年後、母親が我が子を探して隅田川を渡ろうとすると対岸で大勢の人が念仏を唱えていた。1年前に病で倒れた梅若丸という男の子がいたことを聞き、里人とともに母親が菩提を弔うと、梅若丸が霊として現れるがすぐに消えてしまった。 塚のそばに庵を建て、母親は妙亀尼となるが、橋場の鏡ヶ池に身を投じてしまう。池の亀が遺体を乗せて浮かびあがり、母親は妙亀大明神として祀られ、梅若丸は山王権現として生まれ変わった。
ほかにも石碑が多数あり、浄瑠璃塚や歌曲「隅田川」の碑などがある。なかでも「天下の糸平」の碑の大きさには驚かされる。
外観
外観
梅若塚
梅若塚

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長命寺(天台宗)

東京都墨田区向島5-4-4 Tel: 03-3622-7771

寛永年間(1624〜44)に、三代将軍徳川家光公が鷹狩の途中、不意の腹痛のためこの寺で休憩した際に、住職の加持した庭中の般若水(井戸水)で薬を服用したところ、痛みが消えたため、以後寺号を長命寺と改めた。今も残る長命水石文や洗心養神の石碑が、それを物語っている。

江戸時代には雪見の名所であったことから、雪景色を詠んだ芭蕉の雪見の句碑や、十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)の辞世の狂歌碑、太田蜀山人(おおたしょくさんじん)の狂歌碑など60基ほどの石碑が群立している。 また、江戸時代の有名な国学者、橘守部(たちばなもりべ)の墓や、幕府の騎兵奉行を経て、明治に欧米漫遊から戻った際には「朝野新聞」の社長となり、時事風刺文を書いた成島柳北(なるしまりゅうほく)の半身像を浮き彫りにした碑などもある。

隅田川七福神の弁財天が祀られている。

桜餅 食ふてぬけけり 長命寺   虚子
と詠まれるように桜餅発祥の寺院としても有名。

たくさんの石碑
たくさんの石碑
松尾芭蕉の句碑
松尾芭蕉の句碑
本堂
本堂

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弘福寺(黄檗宗)

東京都墨田区向島5-3-2

延宝2年(1673)に創建された黄檗宗の寺院。禅宗の中でも最も中国に近い宗派で、本堂などの建築物からも中国の特色が多く感じられる。

境内右手には爺婆尊(じじばばそん)の石像が祀られている。寛永年間(1624〜44)に、風外和尚が真鶴山中での修業中、両親に孝養を尽くせぬことをいたんで刻んだものと伝えられている。風外和尚の父母の像は風邪にも強いであろうと、爺像は喉頭の病、婆像は咳止めにご利益があるとされ、現在も風邪除けの信仰を集めている。 また、隅田川七福神の布袋尊が祀られている。

入り口
入り口
本堂
本堂
布袋尊
布袋尊

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三囲神社(みめぐりじんじゃ)

東京都墨田区向島2-5-17

近江国三井寺の僧源慶が東国を巡礼していた途中、隅田川沿いの牛島付近を通りかかった際に、荒れ果てた祠を見つけた。聞けば、弘法大師ご創建の由緒ある祠であると。源慶はその有様を悲しみ、再建に着手。地面を掘りおこすと、白きつねにまたがった神像が納められた壷が……。その時、白きつねが姿を現わし、神像の周りを3度めぐって消え去った。この故事から「みめぐり」の名が付いた。

また、干ばつが続いた元禄六年(1693)には、付近の農民たちが三囲神社に集まって雨乞いをした。通りかかった芭蕉門下第一の俳人・宝井其角が、雨乞いする村人に代わり「夕立や」と発句すると、翌日から雨が降り続いて農民は救われたという。

境内には、「雨乞いの句碑」があり、「此御神に雨乞する人にかわりて遊ふ田地(夕立)や田を見めぐりの神ならば 晋其角」と刻まれている。 また、隅田川七福神の恵比寿様と大黒天が祀られている。

入り口
入り口
大黒天、恵比寿様のお堂
大黒天、恵比寿様のお堂
三角鳥居
三角鳥居

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牛嶋神社

東京都墨田区向島1-4-5

貞観2年(860)創建の古社。慈覚大師が須佐之男命を守護神として迎えたのが始まり。 境内には、赤いよだれかけをした大きな牛の像があり、「撫で牛」と呼ばれている。自分の体で悪い箇所を撫でれば、病気平癒などのご利益がある。 また、境内には詩碑や句碑がたくさんある。 広い境内を持つ牛嶋神社は、隅田公園に続いており、子供から大人まで寛げる場所となっている。

本堂
本堂
撫で牛
撫で牛

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