| 詳細情報: | 01浄閑寺(じょうかんじ) 02千束稲荷神社(せんぞくいなりじんじゃ) 03朝日弁財天(あさひべんざいてん) 04小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ) 05法昌寺(ほうしょうじ) 06英信寺(えいしんじ) |
07鷲神社(おおとりじんじゃ) 08正寶院(飛不動) 09今戸神社 10本龍院(待乳山聖天) 11浅草寺 12金蔵寺(こんぞうじ) |
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東京都荒川区南千住2-1-12
別名「投げ込み寺」と呼ばれる。 1855年の安政の大地震で命を落とした行き場のない遊女が、投げ込み同然に葬られたことに由来している。「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と句が記されているように、遊女の平均寿命は21、2歳と非常に短命であったといわれ、病死または情死して引き取り手のない者を葬る寺でもある。震災で亡くなった遊女の供養棟と、寺院を何度も訪れた永井荷風の「詩碑」と畳紙(たとう)を型取った「筆塚」もある。



東京都台東区竜泉2-19-35
旧竜泉寺町の鎮守社で、寛文年間の創建と伝えられる古社。また、初午祭(二の午の日)には、百灯余りの地口行灯(地口絵が行灯の正面に描かれたもの)を飾る。樋口一葉作品の「たけくらべ」の中で、明治26〜7年の祭礼が舞台となり、子供達が遊んだ神社として有名。


東京都台東区竜泉1-15-9
下谷七福神のひとつ。芸道富有結縁を授ける神である弁財天が祀られている。備中松山城主水谷伊勢守勝隆が寛永元年に上野不忍池に弁財天を建立するとき、下屋敷の邸内の池にも屋敷神として弁財天を祀った。西方にある不忍池を夕日、東の当地を朝日弁財天と称した。


東京都台東区下谷2-13-14
東京下町八社参りのひとつで、学問・芸能の神様である。 平安時代初期の漢学者・歌人として知られる小野篁(おのたかむら)公が御東下の際に上野照崎の地に安らぎを得、居を構えて里人たちを教育して上野殿と尊称された。篁公がご逝去された仁寿二年(852年)に地元の人々の渇仰により、小野照舞蝟セ神として祀ったのを起源とする。



小野篁公は、わが国最初の学校とされる足利学校を創立し、「経国集」「和漢朗詠集」などの文集を残した。また百人一首「わだの原 八十嶋かけて 漕ぎ出ぬと 人には告げよ 海士のつり船」の詠み人として知られ、小野小町が子孫に当たる。 木立に囲まれ、震災・戦災をまぬがれたという境内は、風情ある趣が感じられる。

東京都台東区下谷2-10-6
下谷七福神の一つで毘沙門天が奉られている。また、亡くなったコメディアンの「たこ八郎」さんのお地蔵さまがある。無病息災を祈願したお地蔵さまとなっている「たこ八郎地蔵」は,右耳の形に特徴あり。「めいわくかけてありがとう たこ八朗」と文字が刻まれており、発起人である由利徹、赤塚不二夫、山本晋也さんの名前も刻まれている。その隣には小さな石の五重の塔があり、作家・中井英夫の名作といわれる「虚無への供物」の供養塔もある。




東京都台東区下谷2-5-14
下谷七福神の一つで大黒天が奉られている。正面が大黒天、右に弁財天、左に毘沙門天の顔を持つ弘法大師作と伝承される「三面大黒天」を本尊とする。御利益は出世・開運・商売繁盛。