香取神社に恵比寿天・大黒天、東覚寺に弁財天、普門院に毘沙門天、龍眼寺に布袋尊、天祖神社に福禄寿、常光寺に寿老人がおり、最短であれば1時間30分で周ることが可能。

室町時代の末期に京都で始まったといわれる。それは商工業の発展に伴っい、人々が商売繁盛や開運を祈願したことに端を発する。
最初は福の神である西宮の夷三郎(恵比寿)と叡山の三面大黒天が祀られていた。そこへ庶民に人気の高かったの竹生島(ちくぶじま)の弁財天女が加わって、鞍馬の毘沙門天、布袋和尚に福禄寿、寿老人という二人の仙人を加えて七福神とした。
当時は幕府の職制を三官四職と呼んだのを筆頭に、寺院の五山十刹や六歌仙といった類似した分野のものをいくつか集めるのが流行しており、中国の「七人の七賢」や仏教経典の「七難即滅(しちなんそくめつ)七福即生(しちふくそくしょう)」になぞらえて七神となったのが有力とされる。
大国主命(おおくにぬしのみこと)の長男。恵比寿とは夷(異邦人)の意で海の彼方から幸福が来るという信仰があり、海上交通安全、漁業に功徳がある。
烏帽子をかぶり、右手に釣り竿、左に鯛を抱えた商売繁盛の守り神。
全てのものを破壊し、救うという古代インドの神であるシバ神の化身マハーカーラ。マハーは大きいこと、カーラは黒色を意味するために大黒天と呼ばれる。
その昔、インドの寺院の台所には金の袋を持った小柄な大黒天が祀られており、台所の神とされていた。のちに、伝教大師最澄によって日本に伝播し、天台宗寺院の台所に大黒天が祀られるようになった。
頭巾をかぶり右手に小槌、左手に大きい袋を背負って米俵に乗っている。厨房守護し、福禄を授与する、商売繁盛の神。
※豆知識
家族を支える中心人物をなぜ「大黒柱」と呼ぶのか?
家を建てる際に、かつては中心となる柱を土間と座敷の間に立て、そこに大黒天を祀った。家の中で中心となる柱は台所にも隣接していたため、台所の神という条件をも満たすので「大黒柱」という名前がついた。
古代インドの水の神サラスヴァーティー。サラスは西北インドにあった大河の名前で「水」を意味し、河が大地にもたらす恵みから豊穣の女神とされる。さらに、言葉の女神ヴァーチュと同一とみなされ、弁才に優れた神として学芸、智恵の女神に。
宝冠をつけ、琵琶を持ち、文芸守護、智慧と才能、財宝金銭授与そして、除災得幸に功徳がある。
古代インドの神で、北の方角を守る神ヴァイシュラヴァナ。インドでは四方を守る神がおり、東のドリタラーシュトラ(持国天)、西のビルーバクシャ(広目天)、南のビルーダカ(増長天)、これが仏教に取入れられて四天王となる。勇壮な姿から武道の神として崇拝さており、かの上杉謙信も自身を毘沙門天の生まれ変わりだとして、戦旗には「毘」の字を使用していたのはご存知の通り。 右手に鉾、左手に宝塔を持ち仏教守護、開運出世、財宝金銭授与および智慧明瞭に功徳がある。
七福神の中で唯一、実在した中国・禅僧の契此(かいし)がモデル。大きな布袋を背負い、人々から布施を受けた物を何でも袋の中に入れて歩いた。肩に掛けた大きい袋は堪忍袋といい、寛容で度量の大きいことを表す。大きなおなかに、福々しい笑顔ながら予知能力に優れ、人格円満や金運招福のご利益がある。
古代中国の道教において、人生の三徳とされる福(子孫繁栄)・禄(財産、身分)・寿(寿命)の全てを兼ね備えたのが福禄寿。背が低く、長い頭に長い髭で経巻を結びつけた杖を持ち、長寿の象徴とされる鶴を従え、子孫繁栄や富貴繁栄にご利益がある。
福禄寿と同様で、長寿の福神。背が低く、長い頭に長い白髭、経巻を結びつけた杖を持ち、長寿の象徴とされる鹿をつれた姿で、長寿延命や富貴繁栄の功徳がある。鹿の代わりに長寿の象徴である桃の実や扇を持つものもある。